本とパズルのブログ

人生は一冊の本である。人生は一つのパズルである。

老人と海』(ヘミングウェイ/福田恆存訳) <新潮文庫> 読了です。

実に骨太な作品。
「配られたカードで勝負しろ」「塩がなければどうするか」を地で行くサンチャゴ老人には、ただただ憧れるしかありません。
気持ちの弱い方にはぜひ読んでいただきたい作品です。

無駄のない文章で心情や状況を淡々と述べながら、読者に熱い気持ちを抱かせるのは流石ヘミングウェイです。
他の作品も読んではみましたが、『老人と海』が最もおもしろいし興味深いと思いました。

実は二回目の読書です。
もし奥付どおりに読んだのだったとしたら、前回は三十数年前に読んだことになります。
ずっと「また読みたい」と心の奥底で思っていて、ようやく二回目を読みました。
マノーリン少年って、最初から登場していたんですね。
海に出るまで思っていたより長かったことにびっくりしました。

福田恆存の解説も、アメリカ文学をヨーロッパ文学と比較して語っているという点で非常におもしろいです。
ただ、最初に読むと作品への興味が薄れるかもしれないので(アメリカ文学をかなり軽く見ている)、やはり最後に読まれたほうがいいと思います。

夕暮まで

『夕暮まで』(吉行淳之介) <新潮文庫> 読了です。

「あなたは、騙すことばかり考えているのよ、なにもかも」(P11)

この一文に、ふと手が止まりました。
普通の流れなら、「なにもかも」ではなく「いつも」とか「だれにでも」になると思います。
しかし、ここで作者が選んだ言葉は「なにもかも」。
なぜここが「なにもかも」なのか、その意味を考えさせられます。

それまではあまりうまい文章とも思えず、「合わないかな」と思いながら読んでいたのですが、この一文を読んで、作者が込める感情をうまく汲み取れていなかったことに気づきました。

作者が選ぶ言葉に注意しながら読むと、あちらこちらで引っかかりを覚えます。
そのたびに、なぜ作者はその言葉、その一文を選んだのか、いろいろ思いを馳せながら読むことができ、非常に楽しい読書体験でした。

しかし、あまりに性的な情景が多い。
すべてを性の中で表現し、性として問題提起し、結果としてまた性が選ばれる、そんな感じがします。
一つのスタイルとしてはそういう表現方法もあるかと思いますが、成功しているのか、と問われると、私には疑問に思いました。

非常におもしろい作家だとは思いますが、たぶん、もう読まないと思います。

夕暮まで (新潮文庫)
吉行 淳之介
新潮社

森鴎外全集4

森鴎外全集4』(森鴎外) <ちくま文庫> 読了です。

正直、全集3までは鴎外のエリート臭が鼻につく作品も多くありましたが、全集4では肩の力も抜けたようで、どれも傑作といっていいと思います。

人の心情が細やかに表現されており、どの文章を読んでも心に沁みていくようで、こういう作品を読むと「本当に小説を読んだな」と思わせられます。

今読んでも全く古い感じがしません。もちろん、出てくる物や価値観などは時代が表れ出ていますが、作品としては今出されても違和感なく受け入れられそうです。

このように、淡々と情景を描いている作品が世に残っていくのではないかな、と思いました。
そこに描かれた対象にどんな感情を持って読むか、それは読者を信じて読者に委ねている、という態度です。
「読む人をああしてやろう、こうしてやろう」という態度は、読んでいるときは大きく揺さぶられて快いこともありますが、よほどインパクトが強くないと、読んでしまうと忘れてしまうんですよね。
要は、その程度の内容だった、ということです。
自分なりに捉えながら読んでいく作品は、「ああ、あの物語」と、いつまでも残っているような気がします。
(数学の問題を、ただ解き方を聴いているだけか、自分で解いてみるか、の違いとでもいいましょうか)

「興津弥五右衛門の遺書」からは急に歴史小説になります。
切腹の話が多く、正直なところ気が滅入りました……。
それでもやはり、何かに激しての表現ではなく、淡々と描かれていることにとても好感が持てました。

あまり鴎外のことは知識を持っていないのですが、これからは歴史小説がメインになってくるのかな。

<収録>


ながし
鎚一下
天寵
二人の友
余興
興津弥五右衛門の遺書
阿部一族
佐橋甚五郎
護持院原の敵討

女のいない男たち

『女のいない男たち』(村上春樹) <文春文庫> 読了です。
短編集です。

私の好みでは、「木野」が秀逸だと思いました。
なんとも不気味な雰囲気がずっと揺るがず漂っていて、村上ワールドが強からず弱からず出せていたと思います。
タイトルも良いです。

短編集のタイトル『女のいない男たち』は、冒頭の作品「ドライブ・マイ・カー」を書いているときにずっと頭にあったそうですが、村上春樹の作品は多かれ少なかれ女を失った男の話が多いと思うので、特にこの作品群にこのようなテーマを設ける必要はなかったんじゃないかと思いました。

短編集としてまとめる際に描き下ろした「女のいない男たち」は、始まりこそ村上春樹の不思議な世界でしたが、あとはずっと漠然とした文章ばかりが続いていて、正直とても成功しているように思えませんでした。

 

<収録>

ドライブ・マイ・カー
エスタデイ
独立器官
シェエラザード
木野
女のいない男たち

江戸川乱歩全集第4巻 孤島の鬼

江戸川乱歩全集第4巻 孤島の鬼』(江戸川乱歩) <光文社文庫>
読了です。

「孤島の鬼」と「猟奇の果」が収録されています。

「孤島の鬼」は、最初はロマンチックな感じの密室殺人事件でしたが、だんだん様相を変えてきます。
しかし、「闇に蠢く」のような冗長と破綻を感じさせるものではなく、どこを読んでもおもしろい作品でした。
江戸川乱歩にしては珍しく、「ある程度筋ができていた」ためでしょうか。

特に“雑記帳”は秀逸です。
これだけで一つの作品になりそうです。

「猟奇の果」は、前半は(ある程度トリックは想像できるものの)とてもおもしろく読めていたのですが、後半からもうむちゃくちゃです。

乱歩自身が
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物語を前後篇に分ち、……一変しているのは、雑誌の販売政策上、編輯者の注文に応じなければならなかったからです。
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と書いているので、乱歩も後半を不満に思っていたのかと思っていたのですが、前半の収集がつかなくなって編輯者(横溝正史)に相談したところ、後半のような筋書きを提案され、ほっと一安心した、というのが本当のようです。
でも、当時はこの後半が良かったようで……。

前半からそのまま筋を変えない、もう一つの結末も載せられており、私はそちらのほうが好ましく読めたのですが、いかがでしょうか。

ファウスト

ファウスト』[全二冊](ゲーテ)<新潮文庫>
読了です。


※内容に触れますので、嫌な方は読まないでください。

思いの外すらすらと読めました。
第一部は波乱万丈・お祭り騒ぎが盛大で、とにかく読んでいて楽しいです。
学生をからかったり、魔女の厨の異空間を経験したり、恋をしたり、魔女たちの祭りに参加したり。

しかし、第一部が終わる間際のグレートヒェンの悲劇には胸が痛みます。
もちろん、それまでにも悲劇の匂いはしているのですが、もう現実を見ることができず、狂気の中で暮らしているグレートヒェンの描写には、本当に気が滅入る思いましました。

第二部に入って、気を取り直したファウスト一行が皇帝をからかう場面はまた楽しい。
「母の国」の描写がなく、すぐ戻ってきたのは残念でしたが、いろんな刺激を受けることができました。

ギリシアに移ってからは、正直あまり興味が惹かれなくなりました。
ここで読むスピードもぐっと落ちてしまいました……。
美女の描写は難しいですね。

そして再び皇帝出現。
あの享楽から一転して、国が内乱状態にあるという事実がわかり、やっぱりここでも気が滅入ります。
ファウスト一行の魔力で皇帝側が勝つものの、皇帝の感じた気味悪さや戦勝後の重臣への過重な約束など、未来の暗さが暗示されているようにも思います。

戦勝の褒美としてファウストが最後に臨んだものの崇高さは素晴らしいのですが、しかしその崇高さも悪魔メフィストーフェレスとの契約の中で成し遂げられているがために、いつも暗さを含んでいます。
結局、ファウストの人生は、メフィストーフェレスと契約してからは暗くなる一方だったのではないでしょうか。

ファウストの最後の救いは、ちょっとアッケラカンとし過ぎだという印象です。
なかなか神の救いを劇的に書くのは難しいと思いますが、これまでのストーリーの最後としては物足りない思いがします。


タイトルは「ファウスト」ですが、ファウストマクガフィン的な扱いで、やはり全体的にはメフィストーフェレスの物語のような気がします。
そういう意味では、ラストもメフィストーフェレスで終わらせてみたかったですね。

名作を簡単に読めるよう、要約した本なんかが少し前に流行りましたが、このような作品を読むと、要約なんかで「名作」のことが分かるはずはない、と思います。
一言一言の表現の面白さ、景色の重厚な描写、登場人物の軽さや重さ、雰囲気の明るさ暗さなんかが要約で分かりますでしょうか。
むしろ、そういうところを楽しむための読書なんじゃないか、と思います。

最後、蛇足ですが。
酒場でからかわれている大学生について、訳注で「新入生」とか「年配の学生」とか書かれていました。
これって、どこで分かるんでしょう?
ファウスト伝説では有名な登場人物なのかな?

今年の総括

今年の総括と、「手元に残した本」「年越し本」です。

今年はとにかく、『ジャン・クリストフ』を読んだのがとても大きかったです。
「結局、読書なんて趣味だから」とこれまで思っていましたが、趣味でない読書、というものが存在することを知りました。
この読書は私の人生にとって非常に大きな経験でした。

初めて読んだ作家は宮下奈都だけです。
非常に興味深い作品でした。
私の気持ちが強すぎたのかもしれませんが、読む人によって応え方が全く異なる作品だと思いました。
つまり、そのような作品が書ける作家、ということです。
また好きな作家が一人増えそうです。

堀江敏幸柴崎友香は二作目の読書です。
どちらも初めて読んだ時の印象がそのまま二作目でも感じられ、やはり私の眼は正しかった、と思いました。

道尾秀介は力はあると思いましたが、トリッキーな内容になってしまったのが残念です。
もう一冊積読してあるので、それは読みます。
また、最近はミステリでない作品も書かれているとのことなので、もう少し追いかけるかもしれません。

■ 手元に残した本
# 全集系、趣味系は除きます。
ジャン・クリストフ』[全四冊](ロラン・ローラン)<岩波文庫>
ユリシーズ演義』(川口喬一) <研究者出版>
『去年の冬、きみと別れ』(中村文則) <幻冬舎文庫>
1Q84』[全六冊](村上春樹) <新潮文庫>
『雪沼とその周辺』(堀江敏幸) <新潮文庫>
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹) <文春文庫>
日蝕・一月物語』(平野啓一郎) <新潮文庫>
『よろこびの歌』(宮下奈都) <実業之日本社文庫>
『春の庭』(柴崎友香) <文春文庫>

■ 年越し本
今年の年越し本には
ファウスト』[全二冊](ゲーテ/高橋義孝訳) <新潮文庫>
を選びました。
東西を選ばず、たくさんの作品に影響を及ぼした作品ですので、早めに読みたいと思っていました。
「どんな言葉もすでにゲーテが言っている」とたとえられるゲーテが、何をどのように表現しているのか、という興味もありました。

年越し本は時間をかけて読もうと思い、いつも「ちょっと難しいかな」と思う作品を選んでいるのですが、思った以上におもしろく読みやすく、すでに一冊目の半分ぐらい読んでしまいました。
年越しまでもつかな。