本とパズルのブログ

人生は一冊の本である。人生は一つのパズルである。

森鴎外全集6

森鴎外全集6』(森鴎外)<ちくま文庫>読了。

作品を読むのに、漫画化されたものや映画化されたものや、「五分で読める」ようにまとめられたものを読むだけですませて何が悪いか、という意見がある。

わたしはその答えとして「表現」というものを用意していた。
そして、この作品を読むことで、もう一つ「リズム」という答えも挙げることができると思うようになった。

とにかく森鴎外の作品はリズムが心地よい。
なんということもない内容でも、彼のリズムに乗せられてドンドン読み進めてしまう。
そしてようやく、いつの間にか疲れていることに気づく。

このリズムを感じるのは個人的な体験なのだろうか、普遍的な体験なのだろうか。
森鴎外の史伝は退屈なので覚悟を持って読んだらいい」というコメントを見かけたことがあるので、おそらく普遍的なものではないのだろう。
もしそうだとすると、万人にお勧めすることはできない。

この作品に登場するのは、名前もようやくか細く伝わっているだけの人たちだ。
しかも何か特別な事件に関わっているのであればまだいいほうで、多くは自らの心の声に従って自分のなすことをしたまでの人々である。
それでも彼らの行為と運命とが織りなす人生が、わたしには興味が深い。
もし、そのあたりに興味をもつ方がおられたなら、わたしはこの作品の一読をお勧めしたい。

全集のうちの一つだけを読むのが敷居が高いようであれば、岩波文庫から『渋江抽斎』が一冊で出ているので、それだけでも読んでみてはどうかと思う。
まだ全集をすべて読んだわけではないが、『渋江抽斎』は鴎外の史伝の粋だと思う。

全集の1を読んだときから森鴎外が好きになる予感がしていたが、この作品でそれが確固たるものになった。
彼は本当に天才だと思う。

 

【収録】
栗山大膳
津下四郎左衛門
椙原品
渋江抽斎
寿阿弥の手紙
都甲太兵衛
鈴木藤四郎
細木香以
小嶋宝素

4480029265

今年の総括(2018年)

今年の総括と、「手元に残した本」「年越本」です。

■ 総括
今年は忙しくて気分的にまいっていた時期もあり、あまり本を読めませんでした。
去年からの年越本を含めて27冊です。
また、今年は「これは!」という出会いもありませんでした。
逆に、『A』や『教団X』にがっかりして中村文則を追いかけることを止めてしまったというネガティブな出来事がありました。

中村文則については改めて次のように整理しました。

【手元に残す】
  何もかも憂鬱な夜に
  銃
  遮光
  土の中の子供
  悪意の手記
  最後の命
  掏摸
  王国
  迷宮
  去年の冬、きみと別れ

【手放す】
  世界の果て
  悪と仮面のルール
  A
  教団X

以前の作風が戻ってきたら教えていただけると幸いです。

手元に残す本については、しばらく猶予期間を設けることにしました。
というのも、2015年に読んだ『杳子・妻隠』(古井由吉)<新潮文庫>がどうしても忘れられず、再購入に至ったからです。
かなり前に読んだ『きらきらひかる』(江國香織)<新潮文庫>も再購入しました。

猶予期間を設けることで「手元に残した本」に復活した作品もあります。
 『夕暮まで』(吉行淳之介) <新潮文庫>
 『薬指の標本』(小川洋子) <新潮文庫>
やっぱり、少し期間をおくことは大切ですよね。
現在猶予期間行使中の作品ももちろんあります。

最後に、読書に直接関係しないのですが、「メディアマーカー」というサイトがサービス停止するというニュースが飛び込んできました。
私はここで蔵書管理していたので、かなり痛いです。
今後は自分の管理したい方法で管理しようと思い、Excelシートを作ることにしました。
PCが壊れた時のことが不安ですが、更新時にネット上のストレージサービスに保存することで解消しようと思います。


■ 手元に残した本
全体に読書数が少なかった分、手元に残した本も少ないです。
(全集や専門書などは除きます)

ファウスト』[全二冊](ゲーテ)<新潮文庫>
『女のいない男たち』(村上春樹) <文春文庫>
『夕暮まで』(吉行淳之介) <新潮文庫>
老人と海』(ヘミングウェイ/福田恆存訳) <新潮文庫>
『異邦人』(カミュ/窪田啓作訳) <新潮文庫>
落下する夕方』(江國香織) <角川文庫>
薬指の標本』(小川洋子) <新潮文庫>
『終わらない歌』(宮下奈都)<実用之日本社文庫>


■ 年越本
今読んでいる『森鴎外全集6』がそのまま年越本になりました。
いわゆる「史伝」と呼ばれている作品群ですが、かなりおもしろいです。
私の好きな作家に「森鴎外」も入れることにしました。

終わらない歌

『終わらない歌』(宮下奈都)<実用之日本社文庫>読了です。
『よろこびの歌』の続編です。

『よろこびの歌』では最後のシーンに向けてどんどん物語を盛り上げていく手法でしたが、『終わらない歌』では一章毎に物語が完結するように作られていました。
それでもどんどん季節は移り行き、彼女たちは成長していきます。

主に電車で読んでいましたが、「Joy to the world」では涙が出てきてしようがありませんでした。
ハンカチまで取り出して眼を拭きながら読んでいました。
本当に、震えるような展開、シーン、セリフでした。

それと比べると最終章「終わらない歌」は少し物足りない印象です。
物語の終わりに向けて、大きく力強い嵐が吹き荒れている、というイメージでした。
しかし、少し私には伝わり難かったのは、私にそのような経験がないからでしょうか……。

相変わらず謎は残されています。 こういう感じ、いいですよね。

ところで、宮下奈都の文章は難しくないですか?
雰囲気で流すように読むこともできますが、一文ずつ追っていくと、それが誰のセリフなのか、どのような状態なのか、ちょっと混乱することも多々あります。
丹念な文章を書く作者なので、狙った作風なのだと思いますが、読んでいると結構疲れます。(褒めています)

江戸川乱歩全集 第6巻』(江戸川乱歩) 読了です。

明智小五郎探偵ものの長編二編が収録されています。

解説にも書かれている通り「謎解き」が問われている時代ではなく、冒険活劇と舞台のおどろおどろしさを楽しむ作品なんだろうな、と思います。

「魔術師」のネタはツッコミどころも満載ですが、そういう意味では正しい「探偵小説」なのでしょう。

そして、それでも「吸血鬼」はなかなか楽しめる作品でした。
両国の捕物シーンはただただバタバタしているだけですが、それ以外は雰囲気もあって現代でも十分読める作品ではないでしょうか。

ところで、P548に、犯人からの脅迫状を「三度目ですよ」と明智小五郎が言うシーンがありますが、四度目ではないでしょうか。
当然ファンの間では気づいているとは思いますが、註釈もなかったので、どう解釈すればいいかわかりませんでした。

<一度目>
P368
三谷が明智に依頼したとき

<二度目>
P392
アトリエ捜索のとき

<三度目>
P483
恒川と明智が事件を話し合っていたとき

<四度目>
P548
墓地を捜索していたとき


【収録】

魔術師
吸血鬼

落下する夕方

落下する夕方』(江國香織) <角川文庫> 読了です。

江國香織の作品を読むと、薄っすらとこわさを感じるのは私だけでしょうか。
世界の薄暗い面を見てしまっている気持ちがします。

物語を語っていく主人公が、(私から見ると)世界のセカンドサイドの住民ですから。
もう、冒頭から薄いおかしさがどんどん出てきます。
そして、作品をよりこわいものにしているのは、世界のメインサイドの住民がところどころで顔を出すからです。
リアリティがあるんですよね。

久しぶりに江國作品を読んだので、しばらく読み進めてから「ああ、そうだ、こんな感じだった」と後悔してしまったのですが、ほかにはないこの感覚がだんだんクセになってくるんですよね。
読み終わった今、薄っすらとしたこわさは残っていますし、読んだことの後悔もあるのですが、それでも手放せません。
今年の「手元に残した本リスト」にきっと載ることでしょう。

最初の江國作品は『きらきらひかる』でした。
これは手放してしまったのですが、多分、また手に入れます。
江國香織の毒に犯されている感覚です)

ところで、この『落下する夕方』には、作中に語られていない物語が隠されています。
二箇所、その姿を現していますが、物語られていないので、まったく意味がわかりません。
そこにどんな物語があったのか……。
そういう謎が残されるところもこわいところなのです。

森鴎外全集5

森鴎外全集5』(森鴎外) <ちくま文庫> 読了です。

「堺事件」は前巻の「興津弥五右衛門の遺書」「阿部一族」からの流れを汲み、事件の生々しさが伝わって読んでいて辛いものがあります。
特に切腹のシーンは、フランス公使のみならず、現代の読者にとっても吐き気を催すような気味の悪さがありました。

山椒大夫」「最後の一句」は子どもの頃にも読んだことがありますが、人生経験を経て改めて読んでみると、また違った感想を持つことができました。
というか、当時は全くおもしろくなかったのですが、今読むと深い味わいがあります。
一方で「高瀬舟」はテーマが明らかすぎて、今でも少し物足りないものを感じます。

「安井夫人」「じいさんばあさん」「寒山拾得」は実に爽快。
読んでいて気持ちが朗らかになってきます。

「魚玄機」はエロティックかつミステリアスで、江戸川乱歩が好きそうなテーマです。

こうしてみると、いろんなタイプの作品をそれぞれ高い完成度で書いているんだなあと思わせられます。
実録に題材を採って自身の興味に沿った作品に仕上げるところは、澁澤龍彦を彷彿とさせるところもあります。

作者が公に顔を出さず、作中人物や描写によってその気持を伝えているところも非常に好感が持てます。
そういったベースがあるので、「安井夫人」の死に望んで急に作者が意見を述べる箇所は、作者の気持ちを押さえることができなかったという心情が察せられ、特に意味あるものに思われました。

最近読んだものと比べれば、やはり長らく読まれているだけあって、文章にリズムがあり、言葉の難しさを物ともしない心地よさがあります。
こういう文章を読みたいものです。

<収録>

大塩平八郎
堺事件
安井夫人
山椒大夫
魚玄機
じいさんばあさん
最後の一句
高瀬舟
寒山拾得
玉篋両浦嶼
日蓮聖人辻説法
仮面

幸福論

『幸福論』(アラン / 神谷幹夫訳) <岩波文庫> 再読です。

記録を見返すと、2012年11月に初めて読んだ作品でした。

前回はとにかく新しい考え方のオンパレードで、心を震わせながら読むことができました。
今回は、前回よく理解できなかったところも自分なりに考えていくことを目標に読んでみました。
去年の初夏のころから少し困難な時期が続き、再読を思い立った次第です。

おそらく原文の雰囲気を保つためだろうと思うのですが、岩波文庫版は訳がこなれていない印象がありますし、理解が難しいところも多々あります。
もし、単に「幸福論というものを読んでみたい」というだけでしたら、いろんな出版社から訳本が出ているようですので、自分にあったものを選ばれるといいと思います。

とにかく、一読に値する作品だと思います。

いわゆる「世界三大幸福論」(アラン、ヒルティ、ラッセル)の中では私はアランのものが一番好きで、ストンと心に落ちてきます。