本とパズルのブログ

人生は一冊の本である。人生は一つのパズルである。

『卍』(谷崎潤一郎)<中公文庫> 読了。

文豪谷崎潤一郎が書いたレズビアン小説として名高いが、そういう興味からはいってしまうとすぐに飽きてしまうだろう。
そういうシーンが無いではないが、直接的な表現はほぼ無いし、あったとしても軽い内容だし、回数も少ない。
そもそも、レズビアンの設定が必要だったのか、という気さえしてくる。
(もちろん、最後まで読むとその効果がはっきり分かるのだが)

この事件が不幸な結末を迎えることは早々に仄めかされる。
読み進めると新たな登場人物が現れ、次々に新たな事実が提示されるが、しかしその事実も何が嘘で何が本当なのか、どんどんわからなくなっていく。
もちろん、どんな不幸な結末を迎えるのかも想像できない。

全文がこの事件の当事者である園子の独白だけで語られている。
園子の激しやすい性格を打ち出しながらも、どこも余すことなく秩序だって状況が説明される。
他の登場人物たちの会話も違和感がないし、人物描写にも実にいきいきしている。
この小説のような複雑な構造を、独白だけで綻びなく作り上げてしまう技量は、さすが谷崎潤一郎と思わせられる。

常識的な世界から少しずれた世界の描写は、どこか江國香織の作品を想起させた。
しかし、谷崎潤一郎は全く手を緩めることはしない。
常識の世界までもをこの異常な世界に引きずり込み、やがてすべてが地獄のような世界だけになってしまう。

読んでいて、とても沈鬱な気分になった。
この沈鬱さに打ち勝つ自信のある読者だけが読むべき作品だと思う。


※ 以下、内容に触れます。また、性的な表現があります。
※ 嫌な方は読まないでください。

性的不能者にもかかわらずプロの女性をも虜にしてしまうという綿貫のテクニックを身に着けた光子と園子との間には、どんな行為が行われていたのだろう。
それは読み進めていけばだれもが思うところだが、それよりも気になるのは、孝太郎のことだ。
孝太郎はたった一度だけ光子と接しただけで、光子に絡め取られてしまった。
男をたった一度だけで破滅へと突き進めさせてしまうそのテクニックは、一体どこで身につけたものだろうか。
まだ二十三歳だった彼女は、一体どのような人生を送っていたのだろうか。

登場人物の中で唯一正常な世界の住人であった孝太郎がこの世界に落ち込んだことで、この物語の陰鬱な終結を迎える。

最後の悪夢のような三ヶ月。
その日々は園子、孝太郎、光子が三人で一緒に過ごしていたはずだ。
一体、三人の間ではどのようなことが行われていたのだろう。
「今日死ぬか、明日死ぬか」と思いながら生きていたあの日々、薬で衰弱しているために燃えるような感覚を与えられなければ満足できなかったあの日々。
そして、最後の日に、光子を観音として描いた絵を飾り付け、その前で死を図る。

谷崎潤一郎は『春琴抄』『吉野葛』を読んだだけだが、こんなに陰鬱な作品ではなかった。
谷崎潤一郎は先行買いして大量に積読してあるが、この先読み続けられるのか、ちょっと心配になってきた。
読み続けた先には孝太郎のような終末が待っていないだろうか。

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ラピスラズリ

ラピスラズリ』(山尾悠子)<ちくま文庫> 読了。

研ぎ澄まされた言葉の数々。
寡作だとは聞いていたが、一つ一つの言葉をこれほど磨き上げているのであれば、寡作であるのは無理からぬ事だろう。

冒頭は次の一文から始まる。
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「画題(タイトル)をお知りになりたくはありませんか」
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いきなりこのような会話文(問いかけ)から始める作家はいくらでもいるので、最初の八行は飛ばしてしまおう。
その次のパラグラフは次のような文章から始まる。
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そもそも深夜営業の画廊などに入っていった理由さえ思い出せないのだったが、たぶん理由などなかったのだろう。列車の到着を待つ時間潰しの所在なさも手伝ってか、声をかけられるまでわたしはじぶんでも気づかないままずいぶんと時間をかけて一枚ずつを眺めていたようだった。
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たったこれだけの文章だが、ずいぶんたくさんの情報が含まれている。
○ 深夜に営業しているという特殊な画廊が存在する街にいる。
○ 「理由さえ思い出せない」くらいなのだから、語り手は普段から画廊に出入りするような人物だろう。
○ 時制から過去の出来事を思い出しながら語っている。
○ 深夜に列車を待つのだから、かなり遠くへ、それも急な出立だったのだろう。
○ 一枚ずつを時間をかけて眺めていながら「ようだった」とまるで他人事のように語られている。
丁寧に調べていけば、まだまだ情報が含まれているかもしれない。
たったの二文にこれだけの情報を詰め込んでいるのだから、一冊を読み上げるまでどれほど神経をすり減らされるのかまるで想像できない。
一つ一つをしっかりと理解しながら読まないと今自分がどこにいるのかをすぐ見失ってしまうのは宮下奈都の比でははい。
そして言葉を選ぶその神経の細やかさは、先に現れる「なかなかよく考えた巧妙なやりかただ」といった普通ならなんでもない言葉が、陳腐で不用意なつまらない言葉に感じてしまうくらいだ。

また、これらの謎を含んだ情報が読み進める中で明らかになっていくと思ってはいけない。
読めば読むほど混沌の度を増して、深夜営業の画廊の夢の中に取り込まれていくような思いをする。

言葉だけではない。
この作品を構成する「銅版」「閑日」「竈の秋」「トビアス」「青金石」という五つの中短編がどのようにつながっているのかがよくわからない。
各編がつながっていることは共通して現れる物事や事象から明らかなのだが、具体的にどういうことだったのかはついに明らかにされることはない。

先に「深夜営業の画廊の夢」と書いたが、全体が山尾悠子の夢の中にいるような印象を受ける。
理詰めで理解する作品ではなく、詩のように読者がそれぞれに感じ取る作品なのだろうと思う。

言葉を磨き上げる技工の跡がありありと見えてしまうのがやや残念ではあるが、魅力的な作家であることは間違いない。
これからもこの作家の作品は読んでいこうと思う。

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森鴎外全集6

森鴎外全集6』(森鴎外)<ちくま文庫>読了。

作品を読むのに、漫画化されたものや映画化されたものや、「五分で読める」ようにまとめられたものを読むだけですませて何が悪いか、という意見がある。

わたしはその答えとして「表現」というものを用意していた。
そして、この作品を読むことで、もう一つ「リズム」という答えも挙げることができると思うようになった。

とにかく森鴎外の作品はリズムが心地よい。
なんということもない内容でも、彼のリズムに乗せられてドンドン読み進めてしまう。
そしてようやく、いつの間にか疲れていることに気づく。

このリズムを感じるのは個人的な体験なのだろうか、普遍的な体験なのだろうか。
森鴎外の史伝は退屈なので覚悟を持って読んだらいい」というコメントを見かけたことがあるので、おそらく普遍的なものではないのだろう。
もしそうだとすると、万人にお勧めすることはできない。

この作品に登場するのは、名前もようやくか細く伝わっているだけの人たちだ。
しかも何か特別な事件に関わっているのであればまだいいほうで、多くは自らの心の声に従って自分のなすことをしたまでの人々である。
それでも彼らの行為と運命とが織りなす人生が、わたしには興味が深い。
もし、そのあたりに興味をもつ方がおられたなら、わたしはこの作品の一読をお勧めしたい。

全集のうちの一つだけを読むのが敷居が高いようであれば、岩波文庫から『渋江抽斎』が一冊で出ているので、それだけでも読んでみてはどうかと思う。
まだ全集をすべて読んだわけではないが、『渋江抽斎』は鴎外の史伝の粋だと思う。

全集の1を読んだときから森鴎外が好きになる予感がしていたが、この作品でそれが確固たるものになった。
彼は本当に天才だと思う。

 

【収録】
栗山大膳
津下四郎左衛門
椙原品
渋江抽斎
寿阿弥の手紙
都甲太兵衛
鈴木藤四郎
細木香以
小嶋宝素

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今年の総括(2018年)

今年の総括と、「手元に残した本」「年越本」です。

■ 総括
今年は忙しくて気分的にまいっていた時期もあり、あまり本を読めませんでした。
去年からの年越本を含めて27冊です。
また、今年は「これは!」という出会いもありませんでした。
逆に、『A』や『教団X』にがっかりして中村文則を追いかけることを止めてしまったというネガティブな出来事がありました。

中村文則については改めて次のように整理しました。

【手元に残す】
  何もかも憂鬱な夜に
  銃
  遮光
  土の中の子供
  悪意の手記
  最後の命
  掏摸
  王国
  迷宮
  去年の冬、きみと別れ

【手放す】
  世界の果て
  悪と仮面のルール
  A
  教団X

以前の作風が戻ってきたら教えていただけると幸いです。

手元に残す本については、しばらく猶予期間を設けることにしました。
というのも、2015年に読んだ『杳子・妻隠』(古井由吉)<新潮文庫>がどうしても忘れられず、再購入に至ったからです。
かなり前に読んだ『きらきらひかる』(江國香織)<新潮文庫>も再購入しました。

猶予期間を設けることで「手元に残した本」に復活した作品もあります。
 『夕暮まで』(吉行淳之介) <新潮文庫>
 『薬指の標本』(小川洋子) <新潮文庫>
やっぱり、少し期間をおくことは大切ですよね。
現在猶予期間行使中の作品ももちろんあります。

最後に、読書に直接関係しないのですが、「メディアマーカー」というサイトがサービス停止するというニュースが飛び込んできました。
私はここで蔵書管理していたので、かなり痛いです。
今後は自分の管理したい方法で管理しようと思い、Excelシートを作ることにしました。
PCが壊れた時のことが不安ですが、更新時にネット上のストレージサービスに保存することで解消しようと思います。


■ 手元に残した本
全体に読書数が少なかった分、手元に残した本も少ないです。
(全集や専門書などは除きます)

ファウスト』[全二冊](ゲーテ)<新潮文庫>
『女のいない男たち』(村上春樹) <文春文庫>
『夕暮まで』(吉行淳之介) <新潮文庫>
老人と海』(ヘミングウェイ/福田恆存訳) <新潮文庫>
『異邦人』(カミュ/窪田啓作訳) <新潮文庫>
落下する夕方』(江國香織) <角川文庫>
薬指の標本』(小川洋子) <新潮文庫>
『終わらない歌』(宮下奈都)<実用之日本社文庫>


■ 年越本
今読んでいる『森鴎外全集6』がそのまま年越本になりました。
いわゆる「史伝」と呼ばれている作品群ですが、かなりおもしろいです。
私の好きな作家に「森鴎外」も入れることにしました。

終わらない歌

『終わらない歌』(宮下奈都)<実用之日本社文庫>読了です。
『よろこびの歌』の続編です。

『よろこびの歌』では最後のシーンに向けてどんどん物語を盛り上げていく手法でしたが、『終わらない歌』では一章毎に物語が完結するように作られていました。
それでもどんどん季節は移り行き、彼女たちは成長していきます。

主に電車で読んでいましたが、「Joy to the world」では涙が出てきてしようがありませんでした。
ハンカチまで取り出して眼を拭きながら読んでいました。
本当に、震えるような展開、シーン、セリフでした。

それと比べると最終章「終わらない歌」は少し物足りない印象です。
物語の終わりに向けて、大きく力強い嵐が吹き荒れている、というイメージでした。
しかし、少し私には伝わり難かったのは、私にそのような経験がないからでしょうか……。

相変わらず謎は残されています。 こういう感じ、いいですよね。

ところで、宮下奈都の文章は難しくないですか?
雰囲気で流すように読むこともできますが、一文ずつ追っていくと、それが誰のセリフなのか、どのような状態なのか、ちょっと混乱することも多々あります。
丹念な文章を書く作者なので、狙った作風なのだと思いますが、読んでいると結構疲れます。(褒めています)

江戸川乱歩全集 第6巻』(江戸川乱歩) 読了です。

明智小五郎探偵ものの長編二編が収録されています。

解説にも書かれている通り「謎解き」が問われている時代ではなく、冒険活劇と舞台のおどろおどろしさを楽しむ作品なんだろうな、と思います。

「魔術師」のネタはツッコミどころも満載ですが、そういう意味では正しい「探偵小説」なのでしょう。

そして、それでも「吸血鬼」はなかなか楽しめる作品でした。
両国の捕物シーンはただただバタバタしているだけですが、それ以外は雰囲気もあって現代でも十分読める作品ではないでしょうか。

ところで、P548に、犯人からの脅迫状を「三度目ですよ」と明智小五郎が言うシーンがありますが、四度目ではないでしょうか。
当然ファンの間では気づいているとは思いますが、註釈もなかったので、どう解釈すればいいかわかりませんでした。

<一度目>
P368
三谷が明智に依頼したとき

<二度目>
P392
アトリエ捜索のとき

<三度目>
P483
恒川と明智が事件を話し合っていたとき

<四度目>
P548
墓地を捜索していたとき


【収録】

魔術師
吸血鬼

落下する夕方

落下する夕方』(江國香織) <角川文庫> 読了です。

江國香織の作品を読むと、薄っすらとこわさを感じるのは私だけでしょうか。
世界の薄暗い面を見てしまっている気持ちがします。

物語を語っていく主人公が、(私から見ると)世界のセカンドサイドの住民ですから。
もう、冒頭から薄いおかしさがどんどん出てきます。
そして、作品をよりこわいものにしているのは、世界のメインサイドの住民がところどころで顔を出すからです。
リアリティがあるんですよね。

久しぶりに江國作品を読んだので、しばらく読み進めてから「ああ、そうだ、こんな感じだった」と後悔してしまったのですが、ほかにはないこの感覚がだんだんクセになってくるんですよね。
読み終わった今、薄っすらとしたこわさは残っていますし、読んだことの後悔もあるのですが、それでも手放せません。
今年の「手元に残した本リスト」にきっと載ることでしょう。

最初の江國作品は『きらきらひかる』でした。
これは手放してしまったのですが、多分、また手に入れます。
江國香織の毒に犯されている感覚です)

ところで、この『落下する夕方』には、作中に語られていない物語が隠されています。
二箇所、その姿を現していますが、物語られていないので、まったく意味がわかりません。
そこにどんな物語があったのか……。
そういう謎が残されるところもこわいところなのです。