ナボコフの文学講義
『ナボコフの文学講義』[全二冊](V・ナボコフ/野島秀勝訳) <河出文庫> 読了。
この作品では次の七作品が講義されている。
■ ジェイン・オースティン『マンスフィールド荘園』
■ チャールズ・ディケンズ『荒涼館』
■ ギュスターヴ・フロベール『ボヴァリー夫人』
■ ロバート・ルイス・スティーヴンソン『ジキル博士とハイド氏の不思議な事件』
■ マルセル・プルースト『スワン家のほうへ』
■ フランツ・カフカ『変身』
■ ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』
一貫して「どんなお話か」は問題にされず、「どのように書かれているか」に焦点が当てられていることに注目すべきである。
著者の立場は以下のような文から容易に想像できる。
(ちょっと長いが重要だと思うので引用させていただいた)
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――それで、どうした?「それで、どうした」といわれても、合理的な答えはなにもありはしない。わたしたちにできることは、その物語を分解して、部分がどのようにぴったりと組み合わさっているか、作品の様式の部分がいかに互いに呼応し合っているかを見出すことだけだ。
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わ たしが願ったことは、小説を読むのは作中人物になりきりたいというような子供じみた目的のためでも、生きる術を学びとりたいというような青二才めいた目的 のためでも、また一般論にうつつをぬかす学者然とした目的のためでもない、そういう良き読者にきみたちをつくりたいということだった。
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小説を読むのはひとえにその形式、その想像力、その芸術のためなのだと、私は教えてきたのである。きみたちが芸術的な喜びの戦慄を感じ、作中の人物たちの感情ではなしに、作者そのものの感情――つまり創造の喜びと困難とを分かちもつようにと、そう教えてきたのである。
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読書に対するこういう態度に共感できる方には非常に面白い作品だと思う。
小説を読む上でのいろんな観点を教えてくれる。
わたしが『失われた時を求めて』を読んだ時、ただ読むだけで満足感を得ていたのが不思議だったのだが、なぜそんなことが可能だったのか、この作品を読むことで理解することができた。
また、ちょっと横になるが、『ユリシーズ』の謎の一つ、「雨外套の男」の正体についても一つの答えが提示されており、大変興味深い。
とにかく、上に挙げたことに共感できる方には非常におすすめする。
逆に、共感できない方には全く退屈な作品だと思われる。