本とパズルのブログ

人生は一冊の本である。人生は一つのパズルである。

『よろこびの歌』(宮下奈都) <実業之日本社文庫> 読了です。

久しぶりに胸を高ぶらせながら読める作品に出会いました。
読み終わって、ちょっと興奮しています。

一時間ほどかけてこの感想を書いていますが、この作品の内容を思い出しながら、指と胸が震えています。

最近読んだ現代作家の中では、堀江敏幸柴崎友香が特別に良かったですが、ここに宮下奈都も加えることになりそうです。

宮下奈都は『羊と鋼の森』の評判を聞いて「匂い」がしていました。
この作品を読んで、私の鼻もなかなか利いてるな、と思いました。 :-)

★ 以下、ネタバラシを含むので、気になる方は読まないでください。


正直なところ、第三章まではごくありふれた退屈な作品だと思っていました。
「どうせ私なんか」と思っている女子高生。
ちょっとした出来事を契機に、そんな中で気づきとよろこびを見つけ出していく。
まあ、そんな作品かな、と読みながら思っていました。

しかし、第四章になって急にスイッチが切り替わります。
霊と話ができる牧野史香が主人公となり、いままで表現されていた「等身大の女子高生の日常」から、全く異なる世界が姿を現わします。
そして、牧野史香が「光の道を歩く少女」を幻視したことから、それ以降、御木元玲に対して急に神格化されたような表現がなされていきます。
第五章では光り輝く彼女を絵に描こうとするところで終わりますし、第六章では彼女から名前を呼ばれたことで喜びに打たれています。

人間御木元玲から神格化された御木元玲への昇華が見事に描かれており、彼女を中心とした場にいる「よろこび」が読み手にもヒシヒシと伝わってきました。

そして、最終章は再び御木元玲の視点に戻ります。
前章までに神格化された御木元玲の、一人の女子高生としての独白。
彼女から見た「みんな」と「場」はどのような存在なのか。
そこから彼女はどのように変化していったのか。
人間として描かれている御木元玲が、彼女の心の中とその変化を自ら表わすことで、かえって「みんな」からの神格化が決して的外れでも大げさでもなく、神格化にふさわしい存在であることを示しています。
そして、第二章、第三章で御木元玲を人間として対応していた原千夏、中溝早紀も、御木元玲のために歌をささげることを表明します。
最後は、全員が御木元玲を見つめ、御木元玲の右手が挙げられることを、息をひそめ、目を輝かせて待っているところで終わります。

ここまで見事な表現をされて、読み手の心が震えないことがありますでしょうか。
こんなに響いてきた作品は本当に久しぶりですし、読んでよかったと本当に思いました。


ここからは少し技術的なところです。

一つの出来事をいろんな視点から描く手法は確かにありますが、この作品ではその出来事への重みが登場人物それぞれで異なっています。
「出来事」は「その日」に至るための単なる通過点であり、絶対的な出来事というような陳腐な描かれ方がなされていないことに好感が持てました。

また、描かれている日付が章毎に少しずつ進んでいきます。
個々人が考えていること、感じていること、見えていることを通して、「その日」に向かっていく様子がとてもリアルで面白く感じました。

そして、御木元玲で始まり、御木元玲で終わったこと。
読みながら、「御木元玲は第一章で良かったんだろうか。最終章で『実は彼女は』のようなネタバラシ的な構成にしても良かったんじゃないだろうか」と思っていたのですが、最初と最後に同じ人物を持ってくる、という発想は私にはありませんでした。
見事だと思います。

あと、いくつか謎が残されていることも楽しいです。

読み進めていくにつれ、頻繁に登場する人のニックネームはやがてフルネームと対応していきますが、なぜか「あやちゃん」だけはずっとフルネームが登場しません。
登場しないのは第三章だけにも関わらず。
そして何よりも、御木元玲と中学からの同級生にも関わらず。

「ボーズ」はほぼすべての章に登場しますが、なぜか第四章と第六章だけは登場しません。

各章は御木元玲にとって重要な人物の視点で描かれていますが、第五章の里中佳子だけはそれほど重要人物ではありません。
それにも関わらず、この章にはこの作品の肝ともいうべき重要な表現がいくつもあります。


★ 最後、「解説」へのネガティブな意見になります。気になる方は読まないでください。


しかし、解説の薄っぺらさはどうでしょうか。

自分と折り合いをつけていく様子が描かれている。うん、確かに描かれていますが、読み取れるのはそれだけなんですか?

ほほえましいかわいらしさ、愛らしさ。うん? 御木元玲への表現が、そんな言葉だけで済まされるんですか?

合唱というアイテムを与えられただけで先へ進んでいける少女たち。え? 合唱は単なる手段であって、彼女たちは御木元玲の存在に感化されたのでは? そもそも、最初は合唱で失敗してましたよね?

少女期特有の屈託とそこからの解放を形にしたと思いました。はあ、読み取れたのはそれだけですか。

さらに言えば、最初に書かれている洗濯籠の喩えについて、「彼女のプライドが見えている」と言っていますが、違うでしょ。
彼女はあの体験で、変わったんでしょ。
うーん、どう読めばそんな風に読み取れるのか……。

読んではいけない解説、というものはこれまでもいくつかありましたが、この解説もそんな解説の一つでした。