本とパズルのブログ

人生は一冊の本である。人生は一つのパズルである。

『春の庭』(柴崎友香) <文春文庫> 読了です。

現れてくる一文をじっくり味わいたくなる。
しかし、どれだけ味わっても味がなくなることはなく、キリがないので渋々次の一文に移る。
そして、次の一文もまたじっくり味わいたくなる。

そんな、一文一文が積み重なってできた作品です。

何か特別なことが起こるわけでもなく、感動に胸を震わせられるわけでもなく、淡々と日常が描かれているだけの作品です。
「最後の一ページで世界が変わる!」とか「涙で読み進めることができませでした」とか「見事な伏線の回収」とかが好きな方には全くつまらない作品でしょう。
だれもが楽しめるわけではありません。読む人を選ぶ作品、作家なんだと思います。

今存命の作家で、五十年後百年後も作品が残っている作家ってどれくらいいるでしょうか。
でも、間違いなく柴崎友香はその中のひとりだと確信しています。

文庫化にあたり、「糸」「見えない」「出かける準備」が併録されました。
まだ単行本しか読まれていない方は、ぜひ文庫のほうも。

堀江敏幸の解説も興味深いです。
正直、私は理解できない部分がありました。
私には見えていないものが堀江敏幸には見えているんだと思います。
時間があればじっくり考えてみたいです。


※ 以下、内容に触れます。気になる方は読まないでください。

一人称で語られているにも関わらず、一人称が「わたし」等ではなく「太郎」であることにずっと違和感がありました。
しかし、物語の終わりごろに突然出てくる太郎の姉が「わたし」と語り出します。
そして、「わたし」の視点と「太郎」の視点が混交し、「わたし」が知らないはずの物語が再び語られ始めます。

果たしてこのような操作が必要だったのか、疑問に思いましたが、興味深くはあります。
そして、その混濁した一人称が心地よくも感じます。

ただ、併録作品でも一人称を「わたし」以外にしているものがありますので、「太郎」を使ったのは作者にとって特別に意味があるわけでもないのかもしれません。