今年の総括、手元に残した本、年越し本
今年もあと二日となりましたので、今年の総括、手元に残した本、年越し本を投稿します。
■ 今年の総括
今年読んだ本は全部で5作品でした。
普段は毎年30作品以上は読んでるのですが、昨年の13作品よりも一段と少ない年になりました。
これは、昨年の年越し本に選んだ『伊沢蘭軒』[全二冊](森鴎外全集)〈ちくま文庫〉を読了するのに七月半ばまでかかったこと、その後も『金瓶梅』[全二冊](笑笑生/土屋英明訳)や江戸川乱歩全集第8巻といった大部の作品を多く読んだこと、が理由です。
そんな訳で、初めて読んだ作家も町田康(くっすん大黒)だけでした。
それでもこの作品は面白く読めたので、なかなかの収穫でした。
■ 手元に残した本
今年読んだ本で手元に残すことにした本です。
全集は除きます。
『くっすん大黒』(町田康)〈文春文庫〉
『きょうのできごと』(柴崎友香)〈河出文庫〉
■ 年越し本
今読んでいる『騎士団長殺し』[全四冊](村上春樹)〈新潮文庫〉がそのまま年越し本になりそうです。
本当は十二月中に読み終えて別の作品を年越し本にしようと思っていたのですが、思った以上に読むのに時間がかかってます。
くっすん大黒
『くっすん大黒』(町田康)〈文春文庫〉読了。
金瓶梅
『金瓶梅』[全二冊](笑笑生/土屋英明訳)<徳間文庫>読了。
知る人ぞ知る、中国古典の猥本。
三国志演義、西遊記、水滸伝と並ぶ中国四大奇書の一つでありながら、完全翻訳本が出版されていない。
読書家の方であれば、「岩波文庫から出ているではないか」と思われるかもしれないが、岩波文庫版は猥褻な部分が抄訳で済まされたりカットされたりしている。
(講談社から完全翻訳本が出たことがあるようだが、すでに絶版で入手困難な様子)
この土屋訳は、猥褻な部分は完全に翻訳し、その他のストーリーは大まかになぞるだけという非常に変わった訳本である。
あれだけ成熟した文化を持っていれば、当然性の成熟も見るべきものがあるだろう、と思っていたが、「このころ(西暦1100年ごろ)からこういう行為があるんだ」という驚き程度で、中国文化ならではと思えるような驚きはなかった。
猥褻だけを求めるのであれば、現代の文学のほうが成熟している。
しかし、猥褻はいつの時代も虐げられ隠されてきたことを思えば、これでもなんとか現代まで残ってきたと言えるのかもしれない。
大衆に守られ受け入れられるギリギリの線だったのだろうか、と考えてみたりもする。
しかも読んでみると、性的なシーンよりもその他のストーリーの方に大きく興味が惹かれた。
数多ある登場人物の中で、あるものは無念の内に殺され、あるものは幸せを掴む。目の前の幸運をみすみす逃してしまうものもいれば、目立たないうちにあれよあれよと栄達するものもいる。
私はそういった人間模様が好きなのかもしれない。
性的なシーンは大したことない、と書いたが、それでも興味深い部分はいろいろある。
この作品自体が絶版状態だが、ご興味あればぜひ。
森鴎外全集7、8 伊沢蘭軒
『森鴎外全集7 伊沢蘭軒 上』
『森鴎外全集8 伊沢蘭軒 下』
(森鴎外)<ちくま文庫>
読了。
伊沢蘭軒は1777年に生まれ1829年に歿した江戸時代の医者。福山藩主阿部家に仕えた。
脚疾のため様々な弊害があったが、主君に大変重用された。
風流人でもあり、漢詩をよくした。
鴎外が伊沢蘭軒の伝記を編もうと思い立ったのは、先作で取り上げた渋江抽斎の師であり、また、さまざまな文献が集まる中で、鴎外の心に留まる生活が多く見られたからだろう。
全950ページほどになるが、ほぼ書簡、日記、墓碑などの抜粋で占められており、たまに子孫から聞かされるちょっとしたエピソードが取り上げられる。
当時生きていた人々と比べても取り立てておもしろい話などほとんどないにも関わらず、それでも一つ一つ読み進めてしまう。
それは残すべき記録の選択、テンポ、時折顔を出す鴎外の言葉によって、次へ次へと導かれるからなのだが、本当に鴎外の天才ぶりには驚かされる。
とはいえ、決して万人向けの作品とはとても言えない。
発表当時から激しい罵詈雑言を浴びていたことが、作品の最後に明かされている。
鴎外は最後に、なぜそれほど非難されたのかと考察しているが、新聞掲載だったがために、読む興味を持つことができない作品に強制的に目をやらなければならない人々が多かっただけだろう。
現代でも読み切る人はそれほど多くはないのではないだろうか。
いわゆる、「史伝」と呼ばれる作品群の一つ。
鴎外がライフワークのように取り組んだ「史伝」についてどのように定義されているのか、浅学にして私はよく知らない。
この作品を読むまでは、単に歴史上の人物を取り上げた作品をそう呼ぶのかと思っていた。
「阿部一族」や「大塩平八郎」のような作品もそれに含まれるのかと思っていた。
しかし、この作品を最後まで読めばそれは違うことがわかる。
鴎外は最後にこう書いている。
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わたくしは筆を行るに当って事実を伝うることを専にし、努て叙事の想像に渉ることを避けた。
(中略)
わたくしは学界の等閑視する所の人物を以て、幾多価値の判断に侵蝕せられざる好き対象となした。
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つまり、記録を想像で補って読み物を紡ぎ出すのではなく、記録のみに従い、また、まだ世間に判断の行われていない人物を描き出したかった、ということだろう。
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わたくしはこの試験を行うに当って、前に渋江抽斎より始め、今また次ぐに伊沢蘭軒を以てした。
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とあるとおり、鴎外の史伝は「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」であるのだろう。
また、未読なのでおそらくだが、その後もいくつかの試みを為したのだろう。
私はこの作品を、昨年12月半ばから初めて、7月半ばにようやく終えた。
時間がかかったのは、興味を持てずにたびたび置いたからではない。
先に伊沢蘭軒は漢詩をよくした、と書いたが、日記や書簡も漢文調に書かれているケースがほとんどで、内容をたどるのに時間がかかったためである。
こういった面も人を諦めさせる要因の一つだと思うが、鴎外の文才に浸りたい方はぜひ挑戦してほしいと思う。
最後に。
私はこの作品を古本で買った。
本中に、先の持ち主が挟んだのであろうレシートが残っていた。
ともに「文学館 伊丹駅前店」で購入されており、上巻は1996年05月10日、下巻は1996年06月01日の日付が記録されている。
おそらく、発売されたときに間をおかず購入されたのだろう。
どういう経緯で手放されたのかはわからないが、ともに真ん中らへんに挟まれていたことを見ると、読了されなかったのではないか、と思われた。
今、この作品を読み終わって、前の持ち主の方の分も重ねて読んだような気分になっている。
今年の総括、手元に残した本、年越本
■ 今年の総括
今年読了した本は16冊でした。
昨年は読めなくて27冊でしたが、今年はさらに読めない年でした。
荘子四冊を読んだこととかスマホデビューして時間の使い方が変わってきたりしたことが影響していると思います。
今年は山尾悠子の作品に出会えたことが大きなトピックです。
言葉を選ぶ繊細な感覚、ストーリーのおもしろさ、全体的な構成の見事さが、夢のような作品世界の中に浮かんでいるその作風に大変魅了されました。
前述した荘子を読んだことも私にとっては大きな出来事でした。
これまで三回ぐらい読んでいますが、今年読んだことはとりわけ意味があったと思います。
スマホデビューしたことで蔵書管理をアプリでできるようになりました。
まだ蔵書の登録は1/3程度しか進んでいませんが、スマホデビュー以降に購入した本はバーコード読み取りで簡単に管理できるので、本当に便利です。
その他、本を読んでいて気になる言葉もその場で記録したり調べたりすることができ、スマホの有無でこんなに生活が変わるんだな、と思いました。
それでも、紙の辞書は買ってしまうんですけどね。
■ 手元に残した本
今年読んだ本で手元に残すことにした本です。
再読した本や全集、専門書などは除きます。
『ラピスラズリ』(山尾悠子)<ちくま文庫>
『卍』(谷崎潤一郎)<中公文庫>
『すべて真夜中の恋人たち』(川上未映子)<講談社文庫>
『六号病棟・退屈な話』(チェーホフ/松下裕訳)<岩波文庫>
『ポトスライムの舟』(津村記久子)<講談社文庫>
■ 年越本
今読んでいる『森鴎外全集7』がそのまま年越本になりそうです。
伊沢蘭軒という江戸時代の医師の生活を描いた、いわゆる「史伝」と呼ばれる作品です。