本とパズルのブログ

人生は一冊の本である。人生は一つのパズルである。

森鴎外全集7、8 伊沢蘭軒

森鴎外全集7 伊沢蘭軒 上』
森鴎外全集8 伊沢蘭軒 下』
森鴎外)<ちくま文庫>
読了。

伊沢蘭軒は1777年に生まれ1829年に歿した江戸時代の医者。福山藩主阿部家に仕えた。
脚疾のため様々な弊害があったが、主君に大変重用された。
風流人でもあり、漢詩をよくした。

鴎外が伊沢蘭軒の伝記を編もうと思い立ったのは、先作で取り上げた渋江抽斎の師であり、また、さまざまな文献が集まる中で、鴎外の心に留まる生活が多く見られたからだろう。

全950ページほどになるが、ほぼ書簡、日記、墓碑などの抜粋で占められており、たまに子孫から聞かされるちょっとしたエピソードが取り上げられる。
当時生きていた人々と比べても取り立てておもしろい話などほとんどないにも関わらず、それでも一つ一つ読み進めてしまう。
それは残すべき記録の選択、テンポ、時折顔を出す鴎外の言葉によって、次へ次へと導かれるからなのだが、本当に鴎外の天才ぶりには驚かされる。

とはいえ、決して万人向けの作品とはとても言えない。
発表当時から激しい罵詈雑言を浴びていたことが、作品の最後に明かされている。
鴎外は最後に、なぜそれほど非難されたのかと考察しているが、新聞掲載だったがために、読む興味を持つことができない作品に強制的に目をやらなければならない人々が多かっただけだろう。
現代でも読み切る人はそれほど多くはないのではないだろうか。

いわゆる、「史伝」と呼ばれる作品群の一つ。
鴎外がライフワークのように取り組んだ「史伝」についてどのように定義されているのか、浅学にして私はよく知らない。
この作品を読むまでは、単に歴史上の人物を取り上げた作品をそう呼ぶのかと思っていた。
阿部一族」や「大塩平八郎」のような作品もそれに含まれるのかと思っていた。

しかし、この作品を最後まで読めばそれは違うことがわかる。
鴎外は最後にこう書いている。
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わたくしは筆を行るに当って事実を伝うることを専にし、努て叙事の想像に渉ることを避けた。
(中略)
わたくしは学界の等閑視する所の人物を以て、幾多価値の判断に侵蝕せられざる好き対象となした。
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つまり、記録を想像で補って読み物を紡ぎ出すのではなく、記録のみに従い、また、まだ世間に判断の行われていない人物を描き出したかった、ということだろう。
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わたくしはこの試験を行うに当って、前に渋江抽斎より始め、今また次ぐに伊沢蘭軒を以てした。
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とあるとおり、鴎外の史伝は「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」であるのだろう。
また、未読なのでおそらくだが、その後もいくつかの試みを為したのだろう。

私はこの作品を、昨年12月半ばから初めて、7月半ばにようやく終えた。
時間がかかったのは、興味を持てずにたびたび置いたからではない。
先に伊沢蘭軒漢詩をよくした、と書いたが、日記や書簡も漢文調に書かれているケースがほとんどで、内容をたどるのに時間がかかったためである。
こういった面も人を諦めさせる要因の一つだと思うが、鴎外の文才に浸りたい方はぜひ挑戦してほしいと思う。

最後に。

私はこの作品を古本で買った。
本中に、先の持ち主が挟んだのであろうレシートが残っていた。
ともに「文学館 伊丹駅前店」で購入されており、上巻は1996年05月10日、下巻は1996年06月01日の日付が記録されている。
おそらく、発売されたときに間をおかず購入されたのだろう。
どういう経緯で手放されたのかはわからないが、ともに真ん中らへんに挟まれていたことを見ると、読了されなかったのではないか、と思われた。
今、この作品を読み終わって、前の持ち主の方の分も重ねて読んだような気分になっている。