春琴抄・吉野葛
谷崎というと「美しい文章」というイメージがあったが、私には「素直な文章」という印象を受けた。
全くどこにも引っかかりがなく、ごく自然に読んでいけるのだ。
しかし、これが当たり前のことだと思ってはいけない。
「春琴抄」は作者、春琴伝、てる女という三つの視点、「吉野葛」は現在の吉野、伝説の吉野、津村の母の思い出、津村の最初の吉野行の四つの次元が、ときには個々に、ときには絡み合い混濁し、非常に複雑な構成、文体でできているのである。
それを「全くどこにも引っかかりがなく、ごく自然に読んでいける」のは神業と言っても過言ではない。
それを現実にできる彼のような人を「天才」と言うのではないだろうか。
「春琴抄」では、あらゆることが非常に詳細な描写で綴られているが、一つ、春琴の妊娠、ということについては、その結果しか述べられていない。
一体春琴と佐助とはどのように結ばれていたのか、そこだけは欠け落ちてしまっていて、読者の想像に任されている。
そんなところも「うまいなあ」と唸らざるを得ない。
谷崎潤一郎も先物買いで、中公文庫から出ている小説はあらかじめ全て購入してしまったのだが、この作品を読む限り、安心して楽しむことができそうだ。