葬送
ショパンとドラクロワという、ジャンルの異なる二人の天才芸術家の生き方を中心に、芸術論、政治情勢、民族紛争、歴史、旅行記、地理、恋愛、社交界、等等、とにかく濃密な記述に満ちた作品です。
一文一文が非常に凝った表現に満ちており、じっくり読めば面白いのだろうと思いますが、何分全四冊という長編なので、私は途中で「じっくり読む」ことを諦めてしまいました。
私は音楽の知識はあまりなく、一方で美術館にはちょくちょく足を運ぶので、繊細で甘えん坊に見えるショパンにはあまり心を寄せられず、力強く自分の足で歩いているドラクロワのほうにばかり興味がありました。
完成した下院図書館の天井画を、ひとつひとつドラクロワ自身が鑑賞するシーン(第一部下巻 P349~P364)は圧巻で、これだけ取り出して売られていても買いたいぐらいの感動的なものでした。
一方で、ショパンの演奏会のシーン(第二部上巻 P57~P104)は驚くほど退屈!
場所も近いので、作者にはこれを対比させる意図があったのではないかと思います。
音楽にも絵画にも理解のある読者なら面白く読めたかもしれませんが、私には手にあまりました。
※
※ここから少しネタバレが入るので、嫌な方は読まないでください。
※
ショパンの死に際し、親友ドラクロワがその場に立ち会わなかったのは実に意味深いことだと思います。
立ち会えなかったのではなく、立ち会わなかった。
なぜ立ち会わなかったのかを自問自答するドラクロワですが、もちろん答えは見つかりません。
小説はそこから「死」のもたらす意味に向かっていきますが、私はショパンとドラクロワという二つの天才のあり方にあったのではないか、と、漠然と感じました。
この長編小説が、ドラクロワの次の大作に向かうところで終わることも、とても象徴的だと思います。
星新一 ショートショート1001
『星新一 ショートショート1001』[全三冊] (星新一) <新潮社>
読了です。
タイトルに「1001」とありますが、文庫未収録作品を含め、1024作品が収録されています。
少しずつ読んで、十数年かかりました。
これだけあると、純粋に「おもしろい!」という作品もあれば、「うーん、ちょっとなあ」という作品もあります。
それでも、それぞれに異なるアイデアでこれだけの作品を書き続けたというのは、やはり異才だと思います。
第三巻の終わりになると、急に作風が変わってきます。
星新一の、この業績の末にたどり着いた、一種の「境地」なんだろうと思います。
人によって好き嫌いはあるでしょうが、私は好きでしたし、なんとも言えない感慨深いものを感じました。
いつか、全作品の概要と評価をつけてみたいと思いますが、果たしていつになるのか、そもそも実現できるのか……。
江戸川乱歩全集 第5巻
『江戸川乱歩全集 第5巻』(江戸川乱歩) <光文社文庫> 読了です。
「押絵と旅する男」はとても不思議な短編です。
今ならこういう発想もあるかもしれませんが、江戸川乱歩が書くとなんともいえない妖しいイメージで表現されており、今読んでも十分通用するとてもよい作品だと思います。
「蟲」「蜘蛛男」「盲獣」はエログロ全開の作品です。
美しいヒロインだろうが主要人物が好意を寄せていようが、容赦なく淫猥に殺してしまうところが爽快(?)です。
当時の出版事情から表現をある程度抑えなければならないところは残念です。
「蜘蛛男」には明智小五郎探偵が出てきますが、江戸川乱歩に限って言えば、探偵はあまり魅力的ではないです……。
【収録】
押絵と旅する男
蟲
蜘蛛男
盲獣
カンバセイション・ピース
『カンバセイション・ピース』(保坂和志) <河出文庫>読了です。
最近好きになった柴崎友香が影響を受けている作家、ということで読んでみました。
日常の何気ない情景が描かれている、という点で、柴崎友香や堀江敏幸の作風と通じるところがあります。
このあたり、好きな方は一読されると良いと思います。
とにかくくどいくらい長い文章が続き、クネクネとうねっていく様子は、人を選ぶというより人を篩にかけているような感じがします。
まず最初の一文(五行!)を読んで、それで文体がダメな人はもうダメでしょう。
特に125ページから128ページにかけて続く一文(!)は、その一文の間に、
飼っている犬や猫の話をし、
子どもの話をし、
チャンネル争いに敗れ、
チャンネル争いに勝った従兄弟が居眠りをし、
親戚の話をし、
飼っている犬や猫の死について考える、という圧巻の文章となっています。
粘着質のような視線や家などについての考察は、私の感覚とだいぶ違っていてなかなか理解できないし、猫の詳細な描写も私にはあまり興味を持てませんでした。
しかし、人との会話はおもしろく魅力的だし、なんと言ってもベイスターズの試合の詳細な描写には思わず熱くなってしまいます。
いろんな要素が詰め込まれていて、今後も読むかどうか判断が難しい作家でしたが、むしろこの作品は取っ付きにくく、他の作品はおもしろく読めた、という情報もあり、もう少し付き合ってみようかと思っています。
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『老人と海』(ヘミングウェイ/福田恆存訳) <新潮文庫> 読了です。
実に骨太な作品。
「配られたカードで勝負しろ」「塩がなければどうするか」を地で行くサンチャゴ老人には、ただただ憧れるしかありません。
気持ちの弱い方にはぜひ読んでいただきたい作品です。
無駄のない文章で心情や状況を淡々と述べながら、読者に熱い気持ちを抱かせるのは流石ヘミングウェイです。
他の作品も読んではみましたが、『老人と海』が最もおもしろいし興味深いと思いました。
実は二回目の読書です。
もし奥付どおりに読んだのだったとしたら、前回は三十数年前に読んだことになります。
ずっと「また読みたい」と心の奥底で思っていて、ようやく二回目を読みました。
マノーリン少年って、最初から登場していたんですね。
海に出るまで思っていたより長かったことにびっくりしました。
福田恆存の解説も、アメリカ文学をヨーロッパ文学と比較して語っているという点で非常におもしろいです。
ただ、最初に読むと作品への興味が薄れるかもしれないので(アメリカ文学をかなり軽く見ている)、やはり最後に読まれたほうがいいと思います。
夕暮まで
「あなたは、騙すことばかり考えているのよ、なにもかも」(P11)
この一文に、ふと手が止まりました。
普通の流れなら、「なにもかも」ではなく「いつも」とか「だれにでも」になると思います。
しかし、ここで作者が選んだ言葉は「なにもかも」。
なぜここが「なにもかも」なのか、その意味を考えさせられます。
それまではあまりうまい文章とも思えず、「合わないかな」と思いながら読んでいたのですが、この一文を読んで、作者が込める感情をうまく汲み取れていなかったことに気づきました。
作者が選ぶ言葉に注意しながら読むと、あちらこちらで引っかかりを覚えます。
そのたびに、なぜ作者はその言葉、その一文を選んだのか、いろいろ思いを馳せながら読むことができ、非常に楽しい読書体験でした。
しかし、あまりに性的な情景が多い。
すべてを性の中で表現し、性として問題提起し、結果としてまた性が選ばれる、そんな感じがします。
一つのスタイルとしてはそういう表現方法もあるかと思いますが、成功しているのか、と問われると、私には疑問に思いました。
非常におもしろい作家だとは思いますが、たぶん、もう読まないと思います。
森鴎外全集4
正直、全集3までは鴎外のエリート臭が鼻につく作品も多くありましたが、全集4では肩の力も抜けたようで、どれも傑作といっていいと思います。
人の心情が細やかに表現されており、どの文章を読んでも心に沁みていくようで、こういう作品を読むと「本当に小説を読んだな」と思わせられます。
今読んでも全く古い感じがしません。もちろん、出てくる物や価値観などは時代が表れ出ていますが、作品としては今出されても違和感なく受け入れられそうです。
このように、淡々と情景を描いている作品が世に残っていくのではないかな、と思いました。
そこに描かれた対象にどんな感情を持って読むか、それは読者を信じて読者に委ねている、という態度です。
「読む人をああしてやろう、こうしてやろう」という態度は、読んでいるときは大きく揺さぶられて快いこともありますが、よほどインパクトが強くないと、読んでしまうと忘れてしまうんですよね。
要は、その程度の内容だった、ということです。
自分なりに捉えながら読んでいく作品は、「ああ、あの物語」と、いつまでも残っているような気がします。
(数学の問題を、ただ解き方を聴いているだけか、自分で解いてみるか、の違いとでもいいましょうか)
「興津弥五右衛門の遺書」からは急に歴史小説になります。
切腹の話が多く、正直なところ気が滅入りました……。
それでもやはり、何かに激しての表現ではなく、淡々と描かれていることにとても好感が持てました。
あまり鴎外のことは知識を持っていないのですが、これからは歴史小説がメインになってくるのかな。
<収録>
雁
ながし
鎚一下
天寵
二人の友
余興
興津弥五右衛門の遺書
阿部一族
佐橋甚五郎
護持院原の敵討