本とパズルのブログ

人生は一冊の本である。人生は一つのパズルである。

異邦人

『異邦人』(カミュ/窪田啓作訳) <新潮文庫> 読了です。

私が高校生のときに読書感想文の課題だった作品です。
その時以来の再読です。

今読んでみると、訳が本当に難しい。
当時も何が起こっているのかがなかなかわからない、というところが逆に楽しかった覚えがあります。
あれから読書経験を積んだ今でも、丹念に読まないと何がどうなっているのか見失いそうです。

ムルソーが自分の感覚を大切にしている、ということは理解できます。
しかし、事件を起こすまでの成り行き任せ、決断放棄と比べて、判決が下った後の自省の細やかさには驚かされました。
それでもあの出来事を反省する訳ではなく、自分の今置かれている状況、これからシステマティックに起こる出来事、を自分の中で処理しようとする冷静さ。
この大きな乖離が、一人の人間に起こっていることとして違和感がないところにカミュの凄さがあるのかな、と思いました。

ムルソーに「もう一つの生活」が可能だったのか、可能だったとしたらどのようなことが起こり、どのような感覚を持ったのか、とても興味があります。

カミュの作品も、またこれからも読んでみたいと思いました。

きりこについて

『きりこについて』(西加奈子)<角川文庫> 読了です。


※ネタバレを含むので気になる方は読まないでください

■ 表現
少し北杜夫のユーモアに似ているかな、と思いました。
独特の表現で、とてもおもしろいと思います。

■ 内容
不自然とも思える急な展開ですが、そこまでに至る内容やそこからの内容が本当に必要だったのか、少し疑問に思いました。
そもそも、前半のきりこから、中盤はともかく後半のきりこには結びつき難いです。
前半のきりこは優しかったのか? 単に自己中な人物としか読めませんでした。
また、「『中身』『容れ物』『歴史』を含めて自分である」という結論に到着しますが、「歴史」の軸は必要でしょうか。
それは「中身」に反映されるべきではないでしょうか。
「中身」に反映されない「歴史」は、無かったも同然だと思います。
それに、「容れ物」まで自分が自分として引き受けるのはどうでしょう。
あくまでそれは社会に向けた「物」であって、それを社会がどう判断するかは社会に任せておいていいのではないか、と思います。
そしてさらに言えば、社会の判断は社会の判断として、受け止めるなり受け流すなりは自分で判断する、と。
「容れ物」を受け入れるくだりはかなり駆け足ですし、「歴史」については何も言っていないも同然なので、この作品からこの結論に至るのはちょっと乱暴かな、と思います。

■ 構成
一番悩ましいのは構成です。
そもそも「猫と会話できる」の最初のエピソードが、猫の視点ときりこの視点との食い違いがあるように思えて、単に猫が一方的に「理解してもらっている」と思い込んでいるのだと読んでいました。
でも、その後はいつのまにか会話できてるんですよね。
その後も猫の会話は人間には理解し難い表現(特にきりこの夢を解釈するシーン)で、私は「猫の世界は猫の世界、人間の世界は人間の世界」ということを言いたいのかな、と思っていました。
しかし、最後で明かされる、この作品の作者の正体!
作品中の猫の表現から、この作品の正体が猫とはまったく思えませんし、ただただ違和感しかありません。


辛口な感想になりましたが、作者の独特な表現力は魅力的だと思いました。
もう少し彼女の作品は読んでみたいと思っています。

葬送

『葬送』[全四冊](平野啓一郎)<新潮文庫> 読了です。

ショパンドラクロワという、ジャンルの異なる二人の天才芸術家の生き方を中心に、芸術論、政治情勢、民族紛争、歴史、旅行記、地理、恋愛、社交界、等等、とにかく濃密な記述に満ちた作品です。
一文一文が非常に凝った表現に満ちており、じっくり読めば面白いのだろうと思いますが、何分全四冊という長編なので、私は途中で「じっくり読む」ことを諦めてしまいました。

私は音楽の知識はあまりなく、一方で美術館にはちょくちょく足を運ぶので、繊細で甘えん坊に見えるショパンにはあまり心を寄せられず、力強く自分の足で歩いているドラクロワのほうにばかり興味がありました。

完成した下院図書館の天井画を、ひとつひとつドラクロワ自身が鑑賞するシーン(第一部下巻 P349~P364)は圧巻で、これだけ取り出して売られていても買いたいぐらいの感動的なものでした。
一方で、ショパンの演奏会のシーン(第二部上巻 P57~P104)は驚くほど退屈!
場所も近いので、作者にはこれを対比させる意図があったのではないかと思います。
音楽にも絵画にも理解のある読者なら面白く読めたかもしれませんが、私には手にあまりました。


※ここから少しネタバレが入るので、嫌な方は読まないでください。

ショパンの死に際し、親友ドラクロワがその場に立ち会わなかったのは実に意味深いことだと思います。
立ち会えなかったのではなく、立ち会わなかった。
なぜ立ち会わなかったのかを自問自答するドラクロワですが、もちろん答えは見つかりません。
小説はそこから「死」のもたらす意味に向かっていきますが、私はショパンドラクロワという二つの天才のあり方にあったのではないか、と、漠然と感じました。
この長編小説が、ドラクロワの次の大作に向かうところで終わることも、とても象徴的だと思います。

葬送〈第1部(上)〉 (新潮文庫)
平野 啓一郎
新潮社
葬送〈第1部(下)〉 (新潮文庫)
平野 啓一郎
新潮社
葬送〈第2部(上)〉 (新潮文庫)
平野 啓一郎
新潮社
葬送〈第2部(下)〉 (新潮文庫)
平野 啓一郎
新潮社

星新一 ショートショート1001

星新一 ショートショート1001』[全三冊] (星新一) <新潮社>
読了です。

タイトルに「1001」とありますが、文庫未収録作品を含め、1024作品が収録されています。

少しずつ読んで、十数年かかりました。

これだけあると、純粋に「おもしろい!」という作品もあれば、「うーん、ちょっとなあ」という作品もあります。
それでも、それぞれに異なるアイデアでこれだけの作品を書き続けたというのは、やはり異才だと思います。

第三巻の終わりになると、急に作風が変わってきます。
星新一の、この業績の末にたどり着いた、一種の「境地」なんだろうと思います。
人によって好き嫌いはあるでしょうが、私は好きでしたし、なんとも言えない感慨深いものを感じました。

いつか、全作品の概要と評価をつけてみたいと思いますが、果たしていつになるのか、そもそも実現できるのか……。

江戸川乱歩全集 第5巻

江戸川乱歩全集 第5巻』(江戸川乱歩) <光文社文庫> 読了です。

押絵と旅する男」はとても不思議な短編です。
今ならこういう発想もあるかもしれませんが、江戸川乱歩が書くとなんともいえない妖しいイメージで表現されており、今読んでも十分通用するとてもよい作品だと思います。

「蟲」「蜘蛛男」「盲獣」はエログロ全開の作品です。
美しいヒロインだろうが主要人物が好意を寄せていようが、容赦なく淫猥に殺してしまうところが爽快(?)です。
当時の出版事情から表現をある程度抑えなければならないところは残念です。

「蜘蛛男」には明智小五郎探偵が出てきますが、江戸川乱歩に限って言えば、探偵はあまり魅力的ではないです……。

【収録】

押絵と旅する男

蜘蛛男
盲獣

 

カンバセイション・ピース

カンバセイション・ピース』(保坂和志) <河出文庫>読了です。
最近好きになった柴崎友香が影響を受けている作家、ということで読んでみました。

日常の何気ない情景が描かれている、という点で、柴崎友香堀江敏幸の作風と通じるところがあります。
このあたり、好きな方は一読されると良いと思います。

とにかくくどいくらい長い文章が続き、クネクネとうねっていく様子は、人を選ぶというより人を篩にかけているような感じがします。
まず最初の一文(五行!)を読んで、それで文体がダメな人はもうダメでしょう。

特に125ページから128ページにかけて続く一文(!)は、その一文の間に、
飼っている犬や猫の話をし、
子どもの話をし、
チャンネル争いに敗れ、
チャンネル争いに勝った従兄弟が居眠りをし、
親戚の話をし、
飼っている犬や猫の死について考える、という圧巻の文章となっています。

粘着質のような視線や家などについての考察は、私の感覚とだいぶ違っていてなかなか理解できないし、猫の詳細な描写も私にはあまり興味を持てませんでした。

しかし、人との会話はおもしろく魅力的だし、なんと言ってもベイスターズの試合の詳細な描写には思わず熱くなってしまいます。

いろんな要素が詰め込まれていて、今後も読むかどうか判断が難しい作家でしたが、むしろこの作品は取っ付きにくく、他の作品はおもしろく読めた、という情報もあり、もう少し付き合ってみようかと思っています。

 

老人と海』(ヘミングウェイ/福田恆存訳) <新潮文庫> 読了です。

実に骨太な作品。
「配られたカードで勝負しろ」「塩がなければどうするか」を地で行くサンチャゴ老人には、ただただ憧れるしかありません。
気持ちの弱い方にはぜひ読んでいただきたい作品です。

無駄のない文章で心情や状況を淡々と述べながら、読者に熱い気持ちを抱かせるのは流石ヘミングウェイです。
他の作品も読んではみましたが、『老人と海』が最もおもしろいし興味深いと思いました。

実は二回目の読書です。
もし奥付どおりに読んだのだったとしたら、前回は三十数年前に読んだことになります。
ずっと「また読みたい」と心の奥底で思っていて、ようやく二回目を読みました。
マノーリン少年って、最初から登場していたんですね。
海に出るまで思っていたより長かったことにびっくりしました。

福田恆存の解説も、アメリカ文学をヨーロッパ文学と比較して語っているという点で非常におもしろいです。
ただ、最初に読むと作品への興味が薄れるかもしれないので(アメリカ文学をかなり軽く見ている)、やはり最後に読まれたほうがいいと思います。