本とパズルのブログ

人生は一冊の本である。人生は一つのパズルである。

きりこについて

『きりこについて』(西加奈子)<角川文庫> 読了です。


※ネタバレを含むので気になる方は読まないでください

■ 表現
少し北杜夫のユーモアに似ているかな、と思いました。
独特の表現で、とてもおもしろいと思います。

■ 内容
不自然とも思える急な展開ですが、そこまでに至る内容やそこからの内容が本当に必要だったのか、少し疑問に思いました。
そもそも、前半のきりこから、中盤はともかく後半のきりこには結びつき難いです。
前半のきりこは優しかったのか? 単に自己中な人物としか読めませんでした。
また、「『中身』『容れ物』『歴史』を含めて自分である」という結論に到着しますが、「歴史」の軸は必要でしょうか。
それは「中身」に反映されるべきではないでしょうか。
「中身」に反映されない「歴史」は、無かったも同然だと思います。
それに、「容れ物」まで自分が自分として引き受けるのはどうでしょう。
あくまでそれは社会に向けた「物」であって、それを社会がどう判断するかは社会に任せておいていいのではないか、と思います。
そしてさらに言えば、社会の判断は社会の判断として、受け止めるなり受け流すなりは自分で判断する、と。
「容れ物」を受け入れるくだりはかなり駆け足ですし、「歴史」については何も言っていないも同然なので、この作品からこの結論に至るのはちょっと乱暴かな、と思います。

■ 構成
一番悩ましいのは構成です。
そもそも「猫と会話できる」の最初のエピソードが、猫の視点ときりこの視点との食い違いがあるように思えて、単に猫が一方的に「理解してもらっている」と思い込んでいるのだと読んでいました。
でも、その後はいつのまにか会話できてるんですよね。
その後も猫の会話は人間には理解し難い表現(特にきりこの夢を解釈するシーン)で、私は「猫の世界は猫の世界、人間の世界は人間の世界」ということを言いたいのかな、と思っていました。
しかし、最後で明かされる、この作品の作者の正体!
作品中の猫の表現から、この作品の正体が猫とはまったく思えませんし、ただただ違和感しかありません。


辛口な感想になりましたが、作者の独特な表現力は魅力的だと思いました。
もう少し彼女の作品は読んでみたいと思っています。