本とパズルのブログ

人生は一冊の本である。人生は一つのパズルである。

森鴎外全集4

森鴎外全集4』(森鴎外) <ちくま文庫> 読了です。

正直、全集3までは鴎外のエリート臭が鼻につく作品も多くありましたが、全集4では肩の力も抜けたようで、どれも傑作といっていいと思います。

人の心情が細やかに表現されており、どの文章を読んでも心に沁みていくようで、こういう作品を読むと「本当に小説を読んだな」と思わせられます。

今読んでも全く古い感じがしません。もちろん、出てくる物や価値観などは時代が表れ出ていますが、作品としては今出されても違和感なく受け入れられそうです。

このように、淡々と情景を描いている作品が世に残っていくのではないかな、と思いました。
そこに描かれた対象にどんな感情を持って読むか、それは読者を信じて読者に委ねている、という態度です。
「読む人をああしてやろう、こうしてやろう」という態度は、読んでいるときは大きく揺さぶられて快いこともありますが、よほどインパクトが強くないと、読んでしまうと忘れてしまうんですよね。
要は、その程度の内容だった、ということです。
自分なりに捉えながら読んでいく作品は、「ああ、あの物語」と、いつまでも残っているような気がします。
(数学の問題を、ただ解き方を聴いているだけか、自分で解いてみるか、の違いとでもいいましょうか)

「興津弥五右衛門の遺書」からは急に歴史小説になります。
切腹の話が多く、正直なところ気が滅入りました……。
それでもやはり、何かに激しての表現ではなく、淡々と描かれていることにとても好感が持てました。

あまり鴎外のことは知識を持っていないのですが、これからは歴史小説がメインになってくるのかな。

<収録>


ながし
鎚一下
天寵
二人の友
余興
興津弥五右衛門の遺書
阿部一族
佐橋甚五郎
護持院原の敵討

女のいない男たち

『女のいない男たち』(村上春樹) <文春文庫> 読了です。
短編集です。

私の好みでは、「木野」が秀逸だと思いました。
なんとも不気味な雰囲気がずっと揺るがず漂っていて、村上ワールドが強からず弱からず出せていたと思います。
タイトルも良いです。

短編集のタイトル『女のいない男たち』は、冒頭の作品「ドライブ・マイ・カー」を書いているときにずっと頭にあったそうですが、村上春樹の作品は多かれ少なかれ女を失った男の話が多いと思うので、特にこの作品群にこのようなテーマを設ける必要はなかったんじゃないかと思いました。

短編集としてまとめる際に描き下ろした「女のいない男たち」は、始まりこそ村上春樹の不思議な世界でしたが、あとはずっと漠然とした文章ばかりが続いていて、正直とても成功しているように思えませんでした。

 

<収録>

ドライブ・マイ・カー
エスタデイ
独立器官
シェエラザード
木野
女のいない男たち

江戸川乱歩全集第4巻 孤島の鬼

江戸川乱歩全集第4巻 孤島の鬼』(江戸川乱歩) <光文社文庫>
読了です。

「孤島の鬼」と「猟奇の果」が収録されています。

「孤島の鬼」は、最初はロマンチックな感じの密室殺人事件でしたが、だんだん様相を変えてきます。
しかし、「闇に蠢く」のような冗長と破綻を感じさせるものではなく、どこを読んでもおもしろい作品でした。
江戸川乱歩にしては珍しく、「ある程度筋ができていた」ためでしょうか。

特に“雑記帳”は秀逸です。
これだけで一つの作品になりそうです。

「猟奇の果」は、前半は(ある程度トリックは想像できるものの)とてもおもしろく読めていたのですが、後半からもうむちゃくちゃです。

乱歩自身が
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物語を前後篇に分ち、……一変しているのは、雑誌の販売政策上、編輯者の注文に応じなければならなかったからです。
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と書いているので、乱歩も後半を不満に思っていたのかと思っていたのですが、前半の収集がつかなくなって編輯者(横溝正史)に相談したところ、後半のような筋書きを提案され、ほっと一安心した、というのが本当のようです。
でも、当時はこの後半が良かったようで……。

前半からそのまま筋を変えない、もう一つの結末も載せられており、私はそちらのほうが好ましく読めたのですが、いかがでしょうか。

ファウスト

ファウスト』[全二冊](ゲーテ)<新潮文庫>
読了です。


※内容に触れますので、嫌な方は読まないでください。

思いの外すらすらと読めました。
第一部は波乱万丈・お祭り騒ぎが盛大で、とにかく読んでいて楽しいです。
学生をからかったり、魔女の厨の異空間を経験したり、恋をしたり、魔女たちの祭りに参加したり。

しかし、第一部が終わる間際のグレートヒェンの悲劇には胸が痛みます。
もちろん、それまでにも悲劇の匂いはしているのですが、もう現実を見ることができず、狂気の中で暮らしているグレートヒェンの描写には、本当に気が滅入る思いましました。

第二部に入って、気を取り直したファウスト一行が皇帝をからかう場面はまた楽しい。
「母の国」の描写がなく、すぐ戻ってきたのは残念でしたが、いろんな刺激を受けることができました。

ギリシアに移ってからは、正直あまり興味が惹かれなくなりました。
ここで読むスピードもぐっと落ちてしまいました……。
美女の描写は難しいですね。

そして再び皇帝出現。
あの享楽から一転して、国が内乱状態にあるという事実がわかり、やっぱりここでも気が滅入ります。
ファウスト一行の魔力で皇帝側が勝つものの、皇帝の感じた気味悪さや戦勝後の重臣への過重な約束など、未来の暗さが暗示されているようにも思います。

戦勝の褒美としてファウストが最後に臨んだものの崇高さは素晴らしいのですが、しかしその崇高さも悪魔メフィストーフェレスとの契約の中で成し遂げられているがために、いつも暗さを含んでいます。
結局、ファウストの人生は、メフィストーフェレスと契約してからは暗くなる一方だったのではないでしょうか。

ファウストの最後の救いは、ちょっとアッケラカンとし過ぎだという印象です。
なかなか神の救いを劇的に書くのは難しいと思いますが、これまでのストーリーの最後としては物足りない思いがします。


タイトルは「ファウスト」ですが、ファウストマクガフィン的な扱いで、やはり全体的にはメフィストーフェレスの物語のような気がします。
そういう意味では、ラストもメフィストーフェレスで終わらせてみたかったですね。

名作を簡単に読めるよう、要約した本なんかが少し前に流行りましたが、このような作品を読むと、要約なんかで「名作」のことが分かるはずはない、と思います。
一言一言の表現の面白さ、景色の重厚な描写、登場人物の軽さや重さ、雰囲気の明るさ暗さなんかが要約で分かりますでしょうか。
むしろ、そういうところを楽しむための読書なんじゃないか、と思います。

最後、蛇足ですが。
酒場でからかわれている大学生について、訳注で「新入生」とか「年配の学生」とか書かれていました。
これって、どこで分かるんでしょう?
ファウスト伝説では有名な登場人物なのかな?

今年の総括

今年の総括と、「手元に残した本」「年越し本」です。

今年はとにかく、『ジャン・クリストフ』を読んだのがとても大きかったです。
「結局、読書なんて趣味だから」とこれまで思っていましたが、趣味でない読書、というものが存在することを知りました。
この読書は私の人生にとって非常に大きな経験でした。

初めて読んだ作家は宮下奈都だけです。
非常に興味深い作品でした。
私の気持ちが強すぎたのかもしれませんが、読む人によって応え方が全く異なる作品だと思いました。
つまり、そのような作品が書ける作家、ということです。
また好きな作家が一人増えそうです。

堀江敏幸柴崎友香は二作目の読書です。
どちらも初めて読んだ時の印象がそのまま二作目でも感じられ、やはり私の眼は正しかった、と思いました。

道尾秀介は力はあると思いましたが、トリッキーな内容になってしまったのが残念です。
もう一冊積読してあるので、それは読みます。
また、最近はミステリでない作品も書かれているとのことなので、もう少し追いかけるかもしれません。

■ 手元に残した本
# 全集系、趣味系は除きます。
ジャン・クリストフ』[全四冊](ロラン・ローラン)<岩波文庫>
ユリシーズ演義』(川口喬一) <研究者出版>
『去年の冬、きみと別れ』(中村文則) <幻冬舎文庫>
1Q84』[全六冊](村上春樹) <新潮文庫>
『雪沼とその周辺』(堀江敏幸) <新潮文庫>
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹) <文春文庫>
日蝕・一月物語』(平野啓一郎) <新潮文庫>
『よろこびの歌』(宮下奈都) <実業之日本社文庫>
『春の庭』(柴崎友香) <文春文庫>

■ 年越し本
今年の年越し本には
ファウスト』[全二冊](ゲーテ/高橋義孝訳) <新潮文庫>
を選びました。
東西を選ばず、たくさんの作品に影響を及ぼした作品ですので、早めに読みたいと思っていました。
「どんな言葉もすでにゲーテが言っている」とたとえられるゲーテが、何をどのように表現しているのか、という興味もありました。

年越し本は時間をかけて読もうと思い、いつも「ちょっと難しいかな」と思う作品を選んでいるのですが、思った以上におもしろく読みやすく、すでに一冊目の半分ぐらい読んでしまいました。
年越しまでもつかな。

『春の庭』(柴崎友香) <文春文庫> 読了です。

現れてくる一文をじっくり味わいたくなる。
しかし、どれだけ味わっても味がなくなることはなく、キリがないので渋々次の一文に移る。
そして、次の一文もまたじっくり味わいたくなる。

そんな、一文一文が積み重なってできた作品です。

何か特別なことが起こるわけでもなく、感動に胸を震わせられるわけでもなく、淡々と日常が描かれているだけの作品です。
「最後の一ページで世界が変わる!」とか「涙で読み進めることができませでした」とか「見事な伏線の回収」とかが好きな方には全くつまらない作品でしょう。
だれもが楽しめるわけではありません。読む人を選ぶ作品、作家なんだと思います。

今存命の作家で、五十年後百年後も作品が残っている作家ってどれくらいいるでしょうか。
でも、間違いなく柴崎友香はその中のひとりだと確信しています。

文庫化にあたり、「糸」「見えない」「出かける準備」が併録されました。
まだ単行本しか読まれていない方は、ぜひ文庫のほうも。

堀江敏幸の解説も興味深いです。
正直、私は理解できない部分がありました。
私には見えていないものが堀江敏幸には見えているんだと思います。
時間があればじっくり考えてみたいです。


※ 以下、内容に触れます。気になる方は読まないでください。

一人称で語られているにも関わらず、一人称が「わたし」等ではなく「太郎」であることにずっと違和感がありました。
しかし、物語の終わりごろに突然出てくる太郎の姉が「わたし」と語り出します。
そして、「わたし」の視点と「太郎」の視点が混交し、「わたし」が知らないはずの物語が再び語られ始めます。

果たしてこのような操作が必要だったのか、疑問に思いましたが、興味深くはあります。
そして、その混濁した一人称が心地よくも感じます。

ただ、併録作品でも一人称を「わたし」以外にしているものがありますので、「太郎」を使ったのは作者にとって特別に意味があるわけでもないのかもしれません。

森鴎外全集3

森鴎外全集3』(森鴎外)<ちくま文庫> 読了です。

最近ますます読むのが遅くなり、読むのに一か月近くかかりました。
それでも、一文一文を噛み締めて読むよろこび、作者がどう思ってこの一文を書いたのかを自分なりに辿るよろこびが分かってきたような感じがして、ますます読書を楽しく思えるようになりました。

因習の蒙昧に悩む穂積家と科学的に簡潔に対峙してしまう己とのズレを描いた「蛇」、父の診療所を手伝う医学生の体験を描いた「カズイスチカ」など、興味深い作品は多いですが、特に印象深いのは「妄想」です。

海辺に老後を過ごす「主人」の、己の人生を振り返った作品です。
留学から帰国した自分が如何にあるべきかを煩悶し、様々な学問を辿った末に至った境地が次のように描かれています。
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自分は辻に立っていて、度々帽を脱いだ。昔の人にも今の人にも、敬意を表すべき人が大勢あったのである。
帽は脱いだが、辻を離れてどの人かの跡に附いて行こうとは思わなかった。多くの師には逢ったが、一人の主には逢わなかったのである。
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もちろん、これを書いた当時の森鴎外の心境を描いたものでしょう。
これを読んで、私は自身の立っている場所を振り返り、大いに反省を促され、かつ励まされたような気持がしました。

さらに「主人」の暮らしをこのように描いています。
まさに、読書人の理想ではないでしょうか。
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昔別荘の真似事に立てた、膝を容れるばかりの小家には、仏者の百一物のようになんの道具もただ一つしか無い。
それに主人の翁は壁という壁を皆棚にして、棚という棚を皆書物にしている。
<中略>
世間の人が懐かしくなった故人を訪うように、古い本を読む。世間の人が市に出て、新しい人を見るように新しい本を読む。
倦めば砂の山を歩いて松の木立を見る。砂の浜に下りて海の波瀾を見る。
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完成すれば大傑作になったであろう「灰燼」は未完成に終わりました。
父と息子の微妙な心のバランスを描くかと思われた五条秀麿シリーズは哲学談義に紛れていきました。

そんな、私からみるとちょっと残念に思われる作品も多いですが、「羽鳥千尋」のような今後大きく発展していくであろうことが楽しみな人物描写の作品にも取り組んでいて、次巻以降、ワクワクしながら読んでみたいと思っています。

 

【収録作品】

カズイスチカ
妄想
藤鞆絵
流行
心中
百物語
灰燼
不思議な鏡
かのように
鼠坂
吃逆
藤棚
羽鳥千尋
田楽豆腐